愛こそはすべて

最近、ひりひりするような焦燥感に駆られて常に苦しかったんだけれど、一昨日立ち寄った本屋でこれを読んで、ようやく息ができたような気がした。

私が知りたかったことが全部書かれていて、リボンで丁寧に包まれたプレゼントを受け取った気分になった。気持ちがぽかぽかした。

 

愛のエネルギー家事 (すみれ書房)

愛のエネルギー家事 (すみれ書房)

  • 作者:加茂谷 真紀
  • 発売日: 2019/09/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

巷では、節約テクやミニマリストが流行っていて、物が多いことは悪であり、断捨離でバンバン物を捨てて快感を得ることが善いとされている。

 

物を捨てて快楽を得るなんて、物に対して失礼な話だと思う。物の気持ちをないがしろにしている。よく考慮せずに自分の欲を満たすためだけに安易な気持ちで物を購入して、結局うまく使いこなせず使わない物を悪者扱いして鬼の形相をし物を捨てる人間のほうがよっぽど悪者だと思う。

 

でもそんなんばっかりだ。心のない人間ばっかりだ。

 

そもそもなぜこんなにもミニマリストが根強く流行っているのだろうか。

それは3つの理由があるように思える。

 

まず一つ目として、「分かりやすいから」。

人は目に見えて分かりやすいことに食いつきやすい。ダイエットも然り。これを食べるだけで体重が減る!そういうインパクトがあって分かりやすいものに人々の関心は惹きつけられやすい。

 

「物を捨てるだけで、幸せになれる」

 

本当にそうだろうか。幸せの意味を深く考えずに、物を捨てることに躍起になって、いらない物を血眼になって探している人も多くいる。

 

幸せになりたいのなら、自分がどう在れば幸せかをイメージしなければいけないと思う。

言い換えれば、自分にとっての幸せの定義を自分で考えものさしを作り、それを実行に移さなければ幸せになんてなれない。今すでに手にしている幸せをも気付くことができない。

 

「物を減らせば幸せになれる」と他人のものさしを自分のものさしにすり替え、自分にとっての幸せがなんなのかも分からないあやふやな状態で物を捨てて、何もない部屋にただずむミニマリストたちが果たして幸せなんだろうか。

 

ミニマリストが流行っている二つ目として、ミニマリストを押し出すことで利益を得る人がいるからだと思う。

 

ユーチューバーやブロガーなどはミニマリストと名乗ることで、自身をプロデュースすることができる。

ミニマリストに関心が高まるなら、講演会を開いてお金を儲けようとする人もいるだろう。本屋さんに行けばミニマリストに関する本がわんさか出版されている。

 

ミニマリストを先鋭化させることによって利益を得ている人々がいる。

正しさなんて人それぞれ違うのに、これが正しいと言えばそれが正義になる。

 

3つ目に、「風潮」だと思う。今コロナウィルスが猛威を振るっている中、正しい情報がなんなのか混乱を極めている。

 

「トイレットペーパーが売り場から消えたわよ。」と母が昨日話していた。

職場の人の会話を聞いていると、「テレビで見たんですけど、トイレットペーパーを買い占めていた人にインタビューしていて、『みんなが買い占めているから買った』って言っていたんですよ」と話していた。

 

人間は風潮で流される生き物なんだなと痛感した。

 

ミニマリストも同様で、みんながやっているからやっている人もいると思う。

今はもはや、物があるから豊かだと言える時代ではない。むしろ逆で、物がない方が豊かだと言われている。

 

使わない物に埋もれて、ごちゃごちゃした住環境で生活を送ることは幸せだとは言えない。

物がすっきりと片付いた中暮らせば、掃除が楽で身の回りの手入れが行き届くのは事実だろう。

 

ただ、線引きが一番重要なのだと学んだ。

何でも捨てることがいいとは限らない。冷蔵庫や洗濯機をも捨てて生活する人がいるが、それによって家事に大幅に時間を割くようになれば、本末転倒だ。

 

物を持つことは恐い。行動がどんどん制限されていくような息苦しさがある。

でも気持ちよく生活を送るためには、自分の好きなものに囲まれて日常を送る必要があるんだと学んだ。

責任をもって物を買う。不幸な買い物はしたくない。

安易な気持ちで物を購入せず、よく考えて自分の好きなものだけを家に持ち込む。そうすれば自然と家が心地よい空間となる。

 

何もない部屋で生活することほど虚しく悲しいものはないな、と引っ越した一人暮らしの何もない部屋でそう感じたのだ。

 

何もない部屋は悲しかった。さみしくて辛かった。ミニマリストが性に合っている人は良いと思うが、何も置いていない部屋は人生の虚無感を突き付けられるようで私には辛かった。

 

 

私は一人暮らしを始めて分かったことがたくさんある。

もうたくさんあるから箇条書きで書く。

・部屋をまず好きにならなくては、好きになってもらえない。

・大切にしようと思うとなんでも物に話しかけたくなる。お風呂に入り終わったら「あーさっぱりした、今日もありがとう」「(大好きなホーロー鍋に向かって)おいしいジャムを作らせてくれてありがとう」ありがとうなんて物に言う大人はおかしいかもしれないけれど、思わず言いたくなってしまう。だから言う。そうすると一人でもさみしくない。見守ってくれているなと思う。

・今まで実家で母のご飯を食べていたから健康に過ごせたんだなとつくづく思う。人の作ってくれたご飯のパワーは計り知れない。そして、自分で料理すると、ついつい母の作ってくれたご飯を作ってしまう。お味噌汁とかお母さんのとおんなじだなと思う。食べてきた味っていうのは大きいな。母の料理が一番うまい。

・みんな物を買う理由が分かった。何にもない部屋の虚無感がやばい。頭がおかしくなる。

・効率とか節約とかより大切なものは自分の心。食べたいものを食べたいときに食べたほうがいい。安いからこれを食べるのではなく、これを食べたいからこれを買う。疲れたから外食をする。それが一番効率がいい。無駄が出ない。自分の心に耳を澄ませる。自分が何をしたいのか読み取ってあげないと本当にかわいそう。家事は楽しむもの。自分の機嫌をよく生きるための術。疲れているなら家事しなくていい。疲れているのにシーツを洗わなきゃと自分を縛るより、洗濯しなくてもぐっすり寝たほうが幸せ。

・本棚を置くとハンパなく落ち着く。超絶落ち着く。自分の好きな小説と漫画、雑誌に囲まれているの多幸感ぱない。なんにもない空間より、自分の好きなものに囲まれた生活がプライスレス。

・寝室のライトは暗い方がいい。間接照明すごくいい!(教えてくれた友達よ、ありがとう!)

あと小さくてもラグがあるとベッドから起き上がってスリッパをはくときに足がひやっとしなくていい。

 

最後に、最近の出来事をつらつら書く。

バレーチームが全部コロナのために練習停止になってしまったよ。。あと今月予定していた大会が全て中止になった。

今日は推しのセッターが来る予定だったのになあ。致し方ない。

 

朝、大学生のとき知り合ったフィリピン人のデイブからラインがあって15日と22日大会があるから来ないか?と英語でメッセージが来た。

英語でメッセージを送った。楽しいな英語。 

このご時世、大会がどんどん中止になっているのにほんとに開催されるんかいな。でも楽しそうだから行くことにした。

 

昨日、先日の結婚式の二次会のビンゴで当てたクルーズ船の予約をしようとしたら、コロナの影響で会社が破綻、、、。ひぇーーーー。

 

今月末はUSJに行こうと計画を立てたのだが、大丈夫かな。

 

ああ、大変な事態になっているなあ。ニュースも全部コロナ。

買い占め、転売が問題になっている。

早く日常が戻ってほしい。

 

昨日近所のショッピングモールに行ったら営業短縮でお店が全部閉まっていて、誰もいなかった。イルミネーションだけ光っていて世紀末感がはんぱなかった。一人で楽しんだ。

 

先日King Gnu情熱大陸に出ていて、印象に残ったシーンがある。

新しいアルバムを作成して疲れ切った年の瀬、メンバーのみんながタクシーに乗り込む。

インタビュアーが「何か一言お願いします」とメンバーに問いかけ、一人が「すべては愛ですね」と答える。

ビートルズのAll You Need Is Loveをくちずさみ、やがてメンバー全員が歌いだす。突然の大合唱。

すっごくよかった。じーんと感動した。

最後のナレーションで、「どんなバンドにも、いつか終わりは来る。何よりも大切なのは、一人ひとりがやりたいことをやり続けることなのだ」という言葉で締めくくられた。

 

バレーしていてもいつまでもこのメンバーでバレーできるとは限らないといつも思う。そして自分もどんどん年を重ねていることに呆然とする。

このままずっと続けばいいのにと願いながら目の前のボールに夢中になっている。いつまでも子どものままだと思う。


いつだめになるんだろう、いつだめになるんだろう。

どこかでそう思っている。いつかは終わりが来る。間違いなく終わりが来る。

祈るように、心に刻むように今当たり前にできていることに感謝して生きるしかない。

 

今年は突っ走るぞ。息切れしても走り切りたい。止まりたくない。

私はぐだぐだ悩んでいるのに次の瞬間には思い立って100メートル走をしているような節がある。

それでいいと思った。人間らしくて、良いと思う。

やりたいことを片っ端からやってやるぞ。悩んでも1歩1歩進む。

 

早くバレーができる日常が戻ってくることを切に願う。

混沌とした状況にも終わりはやってくるはずだ。じっと息をひそめて待つしかない。

 

年を取ってよかったと思えることは、実感を得られるようになったこと。

今まで表面的に分かっていたことを身をもって実感した。

例えば親のありがたさ、お金を稼いで生活を送るということ、今まで白白しいと思っていた感謝の気持ち(ありがとうは魔法の言葉とか本とかに書いてあると、ケッって思っていた。)とか。

 

スーパーに行っても丸ごと楽しめるようになった。いかに安くていい食材をゲットするか、自分は何を食べたいと思っているのか、真剣勝負だ。

 

ニトリとか無印良品とかも今までの数倍楽しい。

何を買ってもいい、しかしそれは自己責任。

どんな部屋になるかも自分の責任。

 

楽しいと辛いは紙一重で、毎日大変で楽しい日々を送っている。

自由と孤独も紙一重だけれど、ぴりりとさみしいからこそ自由を感じられる。

さみしさを感じる分、友達と話しているときはすごく楽しい。

スーパーの店員さんと必要最低限の会話でさえ、心が休まる。重症か?

 

 

人生まるごと楽しいです。

今までイージーモードでその分リスクはなかったんだけど、今は命綱なしでエベレストって感じで楽しいです。

 

早くコロナが収束しますように。

ここまで読んでくれたあなたにも早く生活の平穏が訪れますように。

ありがとうございました。