『やってみること』よりも『安心して』やることが大事

ビバ三連休〜(*´-`)遅れてやって来た私の正月休み。

ただひたすらゴロゴロしております。

お正月ってゴロゴロするのが正解ですね。

徐々に心身ともに回復してきた。

 

思えば去年の夏から始めた婚活ですが、私は何にも分かっていなかったなあと思う。

 

ハマればとことん追求するタイプの人間なので婚活もがむしゃらにやっていたけど、私には婚活するより前に目を向けるべきことがたくさんあった。分かっていたけれど、怖かったから目を逸らしていた。

 

まあ、簡単に言ってしまうと、自立、ですね。

 

私は空っぽのがらんどうの人間です。なーんにも持ってない。

 

やりたい仕事もなく、でも世間体的に働かなくちゃいけないから派遣社員でただ条件が良い仕事を転々として、好きなバレーボールをする。

傷つかないように失敗しないように、でもやりたいこともないからとりあえず保留ボタンを押すように毎日目をつむるように、食べたくないものを無理やり飲み込むように、毎日生きてきた。

 

それでいいと思っていた。だけど仕事って1日8時間以上を占めるもので、向いてないことをやるのはキツイ。人間向いてないことを続けられるほど器用では無いと思う。

 

大人になって、自分がこんなに仕事が続かない人間だとは思わなかった。部活だって学校だって最後までやり切ったのに、仕事がこんなに続かないのはどうしてなんだろう、なんてダメ人間なんだろうと思いながら26歳になってしまった。

 

新卒で入った会社を8ヶ月で辞めたとき、上司にそんなんじゃどこに行っても仕事なんか続かないと鼻で笑われた。

そいつはその会社しか知らないのにそう言い切ったのは何故なんだろうな。

いろんな職場を見て思ったことは、最初の会社が一番酷かった。

 

嫌だからやめる。合わないからやめる。基本的にそのスタンスで生きていきたいとは思っている。でも私が心から望んでいることは、やるからには本気でやる、ということなんだと思う。誰からも強制されていないのに嫌々働いて、自分にはこの働き方しかないんだと狭い箱に自分を詰め込んで窒息死しそうになるのはもう嫌だ。

 

先に進みたくてもがいている。

もう派遣社員は嫌だ。抜け出したい。パソコンをずっと見るしかない生活ももう嫌だ。毎日毎日決まった時間に出勤して、なんだか仕事をしているフリがうまくなるだけのこんな自分は好きじゃない。

 

婚活していたのは、結婚できれば誰かが幸せにしてくれたり、自分をどこか別の世界に連れていってくれると信じていたから。

 

結局は、自分で自分を幸せにすることしかできないことを知った。

一人でも充分幸せに生きていけるけど、その上で一緒にいたいと思えるお相手と出会って、一緒に幸せになるぞと覚悟を決めなければ結婚なんて今の私にはできないと思った。

 

婚活はやめたけど、今も思っていることは一つで、ここから抜け出したい。

 

やってみたい職業も見つかった。あとは挑戦するだけだな。

一人暮らしも始めようと思って、お金を貯めた。物件も毎日探して、いいな!と思える物件を見つけた。ギャルの友達に言ったら内見に今度一緒に行ってもらえることになった。

 

状況は何も変わっていないんだけど、自分の内面がガラリと日々変わってきている。

 

毎日不安で、不安だから悩みをネットサーフィンで検索して、ずぶずぶ沼にハマるように落ち込んで、検索しても私の欲しい回答はどこにもなくて、やりきれなくて、焦りばっかり募って、それでも毎日やりくないことをするために朝起きて出勤してゾンビみたいにデスクに座っていることが死ぬほど辛い。

みんな普通の顔して仕事していて、みんなが普通にできることがわたしにはくそしんどいなら同じ土俵の上に上がらなくていいんじゃないかと思い始めた。

 

こんなこと言ったら甘えるなと怒られそうだから、大人なのに飄々と生きている先輩にだけ相談してみた。綺麗で頭が良くて、真面目な顔してはちゃめちゃ自由に生きて、でも優しくて人一倍責任感が強いこの人を学生の頃から尊敬している。

 

「やってみたい職業に挑戦すること、一人暮らしをすること、前向きでいいと思う。だけどどれも勇気が要ることだね。失敗することが怖いのは分かるけど、やってみて何も変わらなかったなあ、失敗だったかもしれないとあんまり落ち込まない方がいいよ。転職や一人暮らし自体が新鮮で面白いことで、失敗があっても、やらなければ良かったとは思って欲しくないの。」

 

わたしは深刻に悩んでいたんだけど、あえて軽いノリで先輩に相談した。そんなことも先輩は見透かして、真っ直ぐ私の顔を見て真剣な顔でそう言った。

 

先輩は高校のときの部活のキャプテンなんだけど、私が試合でレフトなのにスパイク全然決められなくて、監督にもチームメイトにもボロカス言われて、悔しくて終わった後に一人でトイレで泣いていたことがあった。

先輩は私を探しにきてくれて、「チームメイトの手前、厳しいことを言ったけれどうちがもっと決められればよかっただけなんだ。だから自分を責めなくていい。ミスしたっていい。安心してバレーしてくれればいい。明日からまた頑張ろう」って言ってくれた。

 

いやー、あれは忘れられない。この人のこと裏切れないな、もっと頑張ろうって思った。

 

あの時から先輩は全然変わってない。厳しくて優しくてかっこいい。

 

大人になった先輩は言う、「失敗なんて一つもないんだよ。〇〇のしようとしていることで、間違っていることも悪いこともないよ。安心して何かやってみなよ。やればできる子なんだから。『やってみること』よりも『安心して』やることが大事だよ、悩んだら何度も思い返してね。」

 

先輩に高校のときのコートネームで呼ばれると一気に時間が巻き戻されたような感覚になる。

 

過去を懐かしがりたくなくて、何度も何度も頻繁に心の中にある引き出しを開けては何度も何度も頻繁に忘れるものかと言わんばかりに眺め返していて、「あの頃は」とか「昔はさ」って言いたくなくて、思い出がどんどん色褪せていくことが怖くて、誰ともその話をしなくなったって自分の頭で考えて何度も再生して、何度も刷り直して、よし大丈夫、よし大丈夫と言い聞かせている。

もうみんながいない過去に私だけがまだいる。もういい大人なんだからやめなくてはいけないのだけれど、そもそもいい大人がどんなものか分からないし、そんなものになりたくない。

 

高校時代はずっと引退したくないって思っていた。このままずっとバレーしていたいって思っていた。大人になったら治るかなって思ったけど、いつまでだってバレーしていたい自分がいる。

 

もう今年は正直に生きよう。どんなに幼稚でもいいや。高校生の延長で生きていこう。実感の持てることをしよう。苦手なこと、嫌いなこと、やりたくないこと、この3つは絶対やらない。不幸だし、ストレスだし、成果出ない何のメリットもない。他人なんて私のことなんか見ていないんだから、自分の声を一番大事にしてあげよう。人の目を気にして擬態なんかしなくていいや。

今年は私が私の一番の良き理解者となり、自分を大事にする。失敗は承知の上で、安心してやりたいことをやるぞ。