いでよ ランプの魔人

ランプの魔人は言った。

「0から1を生み出すことは出来ない。
私はあなたの望むものをどこからか調達するしかない。」

 

忠告されたにも関わらず、主人公は金と女と心臓を望み、手に入れた。

しかし、ランプの魔人は未来の主人公から調達したのだった

 

11日の土曜日に放送された世にも奇妙な物語で一番好きな話だったのはランプの魔人だった。

魔法のランプで願いが3つ叶うなら、何を祈るだろうかと想像せずにはいられなかった。
物は要求したくないな。きっと魔人は未来の私から調達してくるはずだもの。

 

それならば、未来の自分に手紙を書くと思う。
知りたいこと、過去の自分に伝えたいことはないか手紙を書いて、ランプの魔人に渡す。
今の私が未来の自分に聞きたいことは、幸せに暮らしているのか、バレーは続けているのか、好きな人はいるのか、結婚はしているのか、仕事は何をしているのか、何をしている時が幸せに感じるのか、過去の失敗は何か、それを避けるにはどうすればいいか。

 

そういうことを尋ねる手紙を書いて、ランプの魔人にこれを未来の自分に渡して返事をもらってきてくれと頼む。

 

未来の自分は嫌がるだろうなあ。
大人になってからというもの、全然成長していないもの。
劇的に変わっているわけでもないと思う。今と未来は地続きだから、いきなり素晴らしい人間になっているわけではない。

過去の自分に見栄を張っていいことばかり手紙に書いてしまいそうだから、当てにならないな。
過去の自分もそれを見透かして、いいことばかり書かれた手紙を読んでばかだなと思いそうだ。

 

失敗したくないと願って、未来の自分に教えを乞うとしても、果たして過去の自分にとって未来の自分である今の私に何が言えるだろうか。

何も言えない。

人間万事塞翁が馬
何が失敗であったか、振り返ってみても分からない。

 

例えば就職で失敗したとしても、この会社のこういうところが嫌だったから次はこういう所で勤めてみたいと考えて、人生の駒を進めることができる。
失恋しても、そこから得られるものは必ずある。

過ぎてしまえば失敗も単なる通過点であることが分かる。
そしてそこから学ぶから、先に進むことができる。

何もしないでいると、自分が何を好きで何が嫌いで、何がしたいのか、何も分からない。
どこへ向かえばいいのかも分からないままだ。

 

しかし、人生は選択の連続だけれど、あれでよかったのかこれでよかったのか思い煩う必要はきっとないはずだ。
いつだって手の届く範囲でできるだけ最良の選択をしていると思う。
何もしないことが一番の失敗だと思う。

水はそのままにしておくと腐る。
人間も同じで、現状維持ばかり考えて何もしないでいるとどんどん衰退していく。


未来の自分と文通するのはやめておこう。

もらった手紙は当てにならないし、何が起こるか分からないからきっと人生は楽しいのだと思う。

 

それならばランプの魔人に何をお願いしようか。
友達になってくれとお願いするのはどうだろうか。

それはいい案に感じる。


一つ目のお願いはランプの魔人に友達になってくれと頼む。

人間一番みじめな思いをするときは、腹が減っているとき、寒いとき、そして孤独なときだ。

孤独なときがいちばんやっかいだ、自分ではどうすることもできないから。

だから、友達になってくれと頼む。
それで今までランプでどんな望みを叶えてきたのか話を聞いたり、魔人の望みは何か聞きたい。
望みを3つ叶えるまでは私がランプの持ち主でいられるなら、死ぬギリギリまで残り2つの望みは言わないでいるだろう。

残り2つの願いはランプの魔人が欲しいものを手に入れるために使ったり、喧嘩したときに仲直りしてくれと頼むのにとっておこう。

 

そうして年を取っておばあちゃんになって、その時もし孫がいたなら、死ぬ前にランプを悪用しなそうな奴に託す。

 

 

無人島に一つだけ持って行けるなら、何をもっていく?」「好きな映画のベスト3は?」など相手の価値観を知りたくて人間は質問するけれど、「もし魔法のランプで願い事が叶うならば何を願う」という質問からはその人が何を切望しているか分かる。

 

私は孤独なのが一番怖い。ひとりぼっちになるのが怖い。
人間の友達はいつか別れが来る。男性より女性の方が友人と疎遠になりやすいと思う。
結婚したり、妊娠したり、出産したり、自分とライフステージと異なる友人とは話が合わなくなって疎遠になることなんてよくある話だ。

 

私は距離のいらない友人が欲しい。人間ではだめだ、変わってしまうから。
死ぬことがないランプの魔人ならずっと変わらぬ関係を続けていけそうだ。

 

ふと思ったのだが、ランプの魔人はドラえもんに似ている。
のび太の願いを叶えてあげて、唯一無二の友人としてそばにいてあげる存在。

子どもの頃より、大人になった今の方がドラえもんが大好きだ。
大人になるともう誰も教えてくれない。何をしたらいいのか、どうしたらいいのか。

ドラえもんでもランプの魔人でもいいから、私の前に現れてくれないかなあ。

 

あなたはランプの魔人に何をお願いしますか

ときめきって簡単に死ぬことがわかった

 ライフワーク化していた私の恋がとうとう死んだ。もうすでに埋葬したので、蘇ることはないと思う。その証拠にあんなにときめいていたことが嘘のように、もう何も思わない。しかし、鈍く胸が痛む。だからブログに書いて供養することにする。

 

 私の一番好きなことはバレーであり、ずっと片思いしていた人はセッターだった。今まで私はずっとアタッカーで、トスは上げるものではなく、上げてもらうものだった。セッターのトスを見て心を撃ち抜かれた。すっごく綺麗だったのだ。そのトスを見て、打ちたいとも思ったし、それと同時に私もあんな風に綺麗にトスを上げたいとも思った。

 

 彼がきっかけとなり、私はセッターとして練習をするようになって、トスを上げる楽しさを知った。しかし精確さには欠けているので、まだまだ練習が必要だ。アタッカーのままだったら、きっとこんなにまだバレーに熱中していなかったんじゃないだろうかと思う。できないことがあるから、練習する。できるようになった嬉しさは言葉にし難い。できるようになりたくて、今より上手になりたくて、こつこつレベル上げをする。その過程を私はとても気に入っている。

 

 一方で私のセッターに対する私の恋愛はちっともうまくいかなかった。今になって思うと、私はだめな恋愛パターンをしていたな、と思う。だめな恋愛とは何かというと、最初に出会ったときが一番のピークということ。ひとめぼれ。おまけに私は彼の何が好きになったかというと、トスである。彼の内面も知らず、トスを見てひとめぼれしてしまった。

 

 私の場合はトスを見て好きになってしまったけれど、一般的に考えると顔を見てひとめぼれするケースが多いのではないかと思う。そうなると、最初に頂点が来てしまって、そこからこの人はこんな人に違いない!とかいう想像、妄想、バイアスがかかってしまうと思う。そこからは坂から転げ落ちるだけだ。この人、こう思っていたのに、実際は全然違う、と減点方式にどんどん自分の中で価値が落ちていくのが分かる。値札は自分が付けたのに、そこから自分でどんどん値引きシールを張っていくのだから、やられた方はたまったもんじゃないとは思う。

 

 セッターはどんな人だったのか、振り返ってみる。

 

 その人は、みんなでわいわいするよりかは、一人でいたいタイプ。彼は以前「友達はいらない。彼女さえいればいい。」と言っていてとてもびっくりした。友達がいらないってどういうことだろうと頭を悩ませたが、結局私にはその気持ちは分からなかった。 

 たぶん、依存し合いたいだろうな。2人の世界があればいいということなんだろう。恋愛を重視する人間だったのだろう。

 

 セッターと毎日ラインを交換することはあったが、話す内容はバレーのことだけだった。セッターは毎日ラインを返してくれていたけれども、全然本心が見えなくて、やりとりするのが辛かった。かわいいスタンプや絵文字を送ってくる男子。こっちの返信スピードに合わせて送り返してくる。社交辞令が上手な今どきの若い子という感じがした。セッターは年下で24歳で私の3つ下だ。

 

 学んだことは、ミステリアスな雰囲気を持つ男子を追いかけたところでいいことは一つもない。陰があって本当の姿が見えない分、余計気になってしまうが、追いかけても逃げられてしまうし、セッターから歩み寄ってくれることはない。

 

 それにミステリアスな奴の中身は総じてペラペラだったりするのだ。結局セッターは自ら行くといったはずのバレーの練習を休んで、女の子とデートをしていたようだ。

バレーのチームメイトに「彼女ができたの~?」とちょっかいをかけられていたときの「いや、いい感じってだけですよ~」と変な引き笑いをしていたとき、気持ち悪いと思った。本当に嫌な笑い方だった。陰キャラの引き笑い程、おぞましいものはない。

 

 魔法が解けたもう一つの理由は、セッターのトスが下手になっていたから。

 

 セッターは去年大学を卒業して就職。そのタイミングでチームを抜けてあまり練習に参加できなくなった。私はセッターの穴埋めとなり、代わりにトスを上げることになった。誰にどういうトスを上げればいいか考えながら、何本も何本もトスを上げ続けた。でもどこかで、わたしは代理でトスを上げているという感覚があったのだと今気付いた。本当のセッターは私ではなく、彼。だから、彼だったらどういうトスを上げるかな、こういう風に上げていたよな、と常に考えていたし、ミスした時は彼だったら出来ていたんだろうか、と思ったこともあった。

 

 疫病が蔓延してバレーの練習が全くできなくなり、セッターのブランクは4カ月となった。そして先週の土曜日セッターが久しぶりに練習に来たが、あんなに上手に見えたセッターのトスに粗が見えた。何本も同じようなミスをする。わたしだったらこういう風に上げるのに、と内心思った。それはもともとセッターが教えてくれたことだった。セッターの穴埋めを私がすることになったとき、「トスはアタッカーひとりひとりに合わせてトスを上げるようにするといいですよ」とセッターが教えてくれたから私は意識して今まで練習してきた。セッターの背中を追いかけていたはずなのに、いつの間にかセッターが後ろにいる、そんな感覚だった。

 

 セッターのことが好きなことはチームの中で一人だけ打ち明けていた。その女の子にもういい、諦めると話した。その夜、心配してくれたのか遊びに誘われてチームの別の男の子と3人で遊んだ。(ドライブした後バレーした。)その男の子のことは今まで恋愛対象外だったけれど、根暗で蛇のようなセッターにこりごりしたので、この人とは緊張せずに喋れるし、気楽だし、3人で遊ぶのは楽しいし、いいなあと思った。来週は登山に行く予定なので、とても楽しみ。

 

 すっかり恋心はしぼんでしまったが、バレーのセッターというポジションについては燃えてきた。セッターの彼がまたバレーに来るかは分からないが、彼がバレーではなく恋愛にうつつを抜かしている間、わたしはどんどんセッターとしての技術を磨いてやろうと思う。彼の代理ではなく、私がセッターになる。それがこの不毛だったこの片思いの恋への一番の供養だ。

 

 27年生きてきて思うが、全くもって恋愛に向いていない。甘い雰囲気とかに持ち込めない。婚活しているときは努力すればきっと結婚できると思っていたが、そういう問題じゃない。努力して報われることなんて、ないです。それはエゴです。

 

 そして私は今完全に振り切れていて、しんどい、とか生きづらいとか、悩みは誰も持っていると思うけれど、おすすめしたいことがある。諦めよう。もううだうだ悩むのはやめよう。それが自分なんだと認めてしまえばいい。はいはい!今世は諦めよう!ウェーイ!って万歳して、悩むのを終わりにしたらいい。そしたら、何がしたい?って問いかけよう。悩みから解放されて、欠点がある自分を丸ごと認めて、笑ってピースサインできたら最高。向かうところ敵なし。好きなこと、やったれや!

あなたの人生は親の人生じゃないから

こんばんは〜

 

私の実家は農家なので、田植えを毎日頑張ってました

 

軽トラを運転して、苗を運んで、苗箱を洗う毎日でした

 

あー、終わってよかった!

疲れた!

 

親の前では良き子どもでいたいと無意識に思うし、父と母の仲を取り持つの疲れたなあ

 

一人暮らしのアパートに戻ってきて、快便だし、一人でお茶を飲んでソファでテレビ見るのまじで至福。

 

父が一人暮らしのアパートの保証人は誰だ?って聞いてきたのがまじで嫌だった

 

お父さんのおかげで一人暮らしできてるって言いたいんだろうな

 

あー、お金はないけど、絶対にやりくりしてこのまま一人暮らししていたい

絶対にお父さんからお金は借りたくない

 

疫病の影響でこれからどうなるか分からないけど、とりあえず今一人暮らしできてるこの状況を楽しもう

 

実家で暮らしているときは気付かなかったけど、親からの影響って受けまくってるよなあ

 

実家に暮らしていたら、人生で一番長く一緒にいるのは親なんじゃないか

 

無意識に親の前では良い子どもでいようとするし、気をつかうわ

 

は〜あ、いま ほっとしている

 

さみしい人間

今日は27歳の誕生日でした〜!

昨日仕事を辞めて、3月まで有休消化でございます。

 

昨日を目標に生きていたから、なんだか気が抜けて疲れがどっと出た。

 

同じ部署でゆるきゃらみたいなおじさんがいたけれど、接点がなくて話したことがなかった。

 

最後みんなにお菓子を配って、ゆるきゃらおじさんが最後の番だった。

 

なんにもできなくてすみません。お菓子ありがとうございます。今までお疲れ様でした。

 

ってしみじみ言ってくれたのが嬉しかった。

 

お堅い職場でみんな黙って毎日作業してて、息苦しかったんだけど、最終日はボスもいなかったし、みんな和やかだった。最終回の幕引きみたいだった。

 

上司に仕事難しかった?って言われて、難しかったですよ〜とか軽口叩いていた。

なんだよ、日頃からこういうムードだったら良かったのに。

 

ああ、毎回思うけど、仕事を辞めた後の脱力感ったらないね。

仕事してる最中は後何日行けばおしまいだ!ってアドレナリンでてるけど、ゴールしてしまえばやるせない。

 

束の間のお暇だから、楽しむことにするさ。

4月からはまた新しい環境だ。

 

苦労も人生のスパイスだと思って生きてこう。

27歳かあ。はっはっは。よく生き延びてきたよなあ。

人生30歳までだと思ってとりあえずあと3年頑張って生きてく。

もうなんか余生みたいな気分ではある。

 

愛こそはすべて

最近、ひりひりするような焦燥感に駆られて常に苦しかったんだけれど、一昨日立ち寄った本屋でこれを読んで、ようやく息ができたような気がした。

私が知りたかったことが全部書かれていて、リボンで丁寧に包まれたプレゼントを受け取った気分になった。気持ちがぽかぽかした。

 

愛のエネルギー家事 (すみれ書房)

愛のエネルギー家事 (すみれ書房)

  • 作者:加茂谷 真紀
  • 発売日: 2019/09/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

巷では、節約テクやミニマリストが流行っていて、物が多いことは悪であり、断捨離でバンバン物を捨てて快感を得ることが善いとされている。

 

物を捨てて快楽を得るなんて、物に対して失礼な話だと思う。物の気持ちをないがしろにしている。よく考慮せずに自分の欲を満たすためだけに安易な気持ちで物を購入して、結局うまく使いこなせず使わない物を悪者扱いして鬼の形相をし物を捨てる人間のほうがよっぽど悪者だと思う。

 

でもそんなんばっかりだ。心のない人間ばっかりだ。

 

そもそもなぜこんなにもミニマリストが根強く流行っているのだろうか。

それは3つの理由があるように思える。

 

まず一つ目として、「分かりやすいから」。

人は目に見えて分かりやすいことに食いつきやすい。ダイエットも然り。これを食べるだけで体重が減る!そういうインパクトがあって分かりやすいものに人々の関心は惹きつけられやすい。

 

「物を捨てるだけで、幸せになれる」

 

本当にそうだろうか。幸せの意味を深く考えずに、物を捨てることに躍起になって、いらない物を血眼になって探している人も多くいる。

 

幸せになりたいのなら、自分がどう在れば幸せかをイメージしなければいけないと思う。

言い換えれば、自分にとっての幸せの定義を自分で考えものさしを作り、それを実行に移さなければ幸せになんてなれない。今すでに手にしている幸せをも気付くことができない。

 

「物を減らせば幸せになれる」と他人のものさしを自分のものさしにすり替え、自分にとっての幸せがなんなのかも分からないあやふやな状態で物を捨てて、何もない部屋にただずむミニマリストたちが果たして幸せなんだろうか。

 

ミニマリストが流行っている二つ目として、ミニマリストを押し出すことで利益を得る人がいるからだと思う。

 

ユーチューバーやブロガーなどはミニマリストと名乗ることで、自身をプロデュースすることができる。

ミニマリストに関心が高まるなら、講演会を開いてお金を儲けようとする人もいるだろう。本屋さんに行けばミニマリストに関する本がわんさか出版されている。

 

ミニマリストを先鋭化させることによって利益を得ている人々がいる。

正しさなんて人それぞれ違うのに、これが正しいと言えばそれが正義になる。

 

3つ目に、「風潮」だと思う。今コロナウィルスが猛威を振るっている中、正しい情報がなんなのか混乱を極めている。

 

「トイレットペーパーが売り場から消えたわよ。」と母が昨日話していた。

職場の人の会話を聞いていると、「テレビで見たんですけど、トイレットペーパーを買い占めていた人にインタビューしていて、『みんなが買い占めているから買った』って言っていたんですよ」と話していた。

 

人間は風潮で流される生き物なんだなと痛感した。

 

ミニマリストも同様で、みんながやっているからやっている人もいると思う。

今はもはや、物があるから豊かだと言える時代ではない。むしろ逆で、物がない方が豊かだと言われている。

 

使わない物に埋もれて、ごちゃごちゃした住環境で生活を送ることは幸せだとは言えない。

物がすっきりと片付いた中暮らせば、掃除が楽で身の回りの手入れが行き届くのは事実だろう。

 

ただ、線引きが一番重要なのだと学んだ。

何でも捨てることがいいとは限らない。冷蔵庫や洗濯機をも捨てて生活する人がいるが、それによって家事に大幅に時間を割くようになれば、本末転倒だ。

 

物を持つことは恐い。行動がどんどん制限されていくような息苦しさがある。

でも気持ちよく生活を送るためには、自分の好きなものに囲まれて日常を送る必要があるんだと学んだ。

責任をもって物を買う。不幸な買い物はしたくない。

安易な気持ちで物を購入せず、よく考えて自分の好きなものだけを家に持ち込む。そうすれば自然と家が心地よい空間となる。

 

何もない部屋で生活することほど虚しく悲しいものはないな、と引っ越した一人暮らしの何もない部屋でそう感じたのだ。

 

何もない部屋は悲しかった。さみしくて辛かった。ミニマリストが性に合っている人は良いと思うが、何も置いていない部屋は人生の虚無感を突き付けられるようで私には辛かった。

 

 

私は一人暮らしを始めて分かったことがたくさんある。

もうたくさんあるから箇条書きで書く。

・部屋をまず好きにならなくては、好きになってもらえない。

・大切にしようと思うとなんでも物に話しかけたくなる。お風呂に入り終わったら「あーさっぱりした、今日もありがとう」「(大好きなホーロー鍋に向かって)おいしいジャムを作らせてくれてありがとう」ありがとうなんて物に言う大人はおかしいかもしれないけれど、思わず言いたくなってしまう。だから言う。そうすると一人でもさみしくない。見守ってくれているなと思う。

・今まで実家で母のご飯を食べていたから健康に過ごせたんだなとつくづく思う。人の作ってくれたご飯のパワーは計り知れない。そして、自分で料理すると、ついつい母の作ってくれたご飯を作ってしまう。お味噌汁とかお母さんのとおんなじだなと思う。食べてきた味っていうのは大きいな。母の料理が一番うまい。

・みんな物を買う理由が分かった。何にもない部屋の虚無感がやばい。頭がおかしくなる。

・効率とか節約とかより大切なものは自分の心。食べたいものを食べたいときに食べたほうがいい。安いからこれを食べるのではなく、これを食べたいからこれを買う。疲れたから外食をする。それが一番効率がいい。無駄が出ない。自分の心に耳を澄ませる。自分が何をしたいのか読み取ってあげないと本当にかわいそう。家事は楽しむもの。自分の機嫌をよく生きるための術。疲れているなら家事しなくていい。疲れているのにシーツを洗わなきゃと自分を縛るより、洗濯しなくてもぐっすり寝たほうが幸せ。

・本棚を置くとハンパなく落ち着く。超絶落ち着く。自分の好きな小説と漫画、雑誌に囲まれているの多幸感ぱない。なんにもない空間より、自分の好きなものに囲まれた生活がプライスレス。

・寝室のライトは暗い方がいい。間接照明すごくいい!(教えてくれた友達よ、ありがとう!)

あと小さくてもラグがあるとベッドから起き上がってスリッパをはくときに足がひやっとしなくていい。

 

最後に、最近の出来事をつらつら書く。

バレーチームが全部コロナのために練習停止になってしまったよ。。あと今月予定していた大会が全て中止になった。

今日は推しのセッターが来る予定だったのになあ。致し方ない。

 

朝、大学生のとき知り合ったフィリピン人のデイブからラインがあって15日と22日大会があるから来ないか?と英語でメッセージが来た。

英語でメッセージを送った。楽しいな英語。 

このご時世、大会がどんどん中止になっているのにほんとに開催されるんかいな。でも楽しそうだから行くことにした。

 

昨日、先日の結婚式の二次会のビンゴで当てたクルーズ船の予約をしようとしたら、コロナの影響で会社が破綻、、、。ひぇーーーー。

 

今月末はUSJに行こうと計画を立てたのだが、大丈夫かな。

 

ああ、大変な事態になっているなあ。ニュースも全部コロナ。

買い占め、転売が問題になっている。

早く日常が戻ってほしい。

 

昨日近所のショッピングモールに行ったら営業短縮でお店が全部閉まっていて、誰もいなかった。イルミネーションだけ光っていて世紀末感がはんぱなかった。一人で楽しんだ。

 

先日King Gnu情熱大陸に出ていて、印象に残ったシーンがある。

新しいアルバムを作成して疲れ切った年の瀬、メンバーのみんながタクシーに乗り込む。

インタビュアーが「何か一言お願いします」とメンバーに問いかけ、一人が「すべては愛ですね」と答える。

ビートルズのAll You Need Is Loveをくちずさみ、やがてメンバー全員が歌いだす。突然の大合唱。

すっごくよかった。じーんと感動した。

最後のナレーションで、「どんなバンドにも、いつか終わりは来る。何よりも大切なのは、一人ひとりがやりたいことをやり続けることなのだ」という言葉で締めくくられた。

 

バレーしていてもいつまでもこのメンバーでバレーできるとは限らないといつも思う。そして自分もどんどん年を重ねていることに呆然とする。

このままずっと続けばいいのにと願いながら目の前のボールに夢中になっている。いつまでも子どものままだと思う。


いつだめになるんだろう、いつだめになるんだろう。

どこかでそう思っている。いつかは終わりが来る。間違いなく終わりが来る。

祈るように、心に刻むように今当たり前にできていることに感謝して生きるしかない。

 

今年は突っ走るぞ。息切れしても走り切りたい。止まりたくない。

私はぐだぐだ悩んでいるのに次の瞬間には思い立って100メートル走をしているような節がある。

それでいいと思った。人間らしくて、良いと思う。

やりたいことを片っ端からやってやるぞ。悩んでも1歩1歩進む。

 

早くバレーができる日常が戻ってくることを切に願う。

混沌とした状況にも終わりはやってくるはずだ。じっと息をひそめて待つしかない。

 

年を取ってよかったと思えることは、実感を得られるようになったこと。

今まで表面的に分かっていたことを身をもって実感した。

例えば親のありがたさ、お金を稼いで生活を送るということ、今まで白白しいと思っていた感謝の気持ち(ありがとうは魔法の言葉とか本とかに書いてあると、ケッって思っていた。)とか。

 

スーパーに行っても丸ごと楽しめるようになった。いかに安くていい食材をゲットするか、自分は何を食べたいと思っているのか、真剣勝負だ。

 

ニトリとか無印良品とかも今までの数倍楽しい。

何を買ってもいい、しかしそれは自己責任。

どんな部屋になるかも自分の責任。

 

楽しいと辛いは紙一重で、毎日大変で楽しい日々を送っている。

自由と孤独も紙一重だけれど、ぴりりとさみしいからこそ自由を感じられる。

さみしさを感じる分、友達と話しているときはすごく楽しい。

スーパーの店員さんと必要最低限の会話でさえ、心が休まる。重症か?

 

 

人生まるごと楽しいです。

今までイージーモードでその分リスクはなかったんだけど、今は命綱なしでエベレストって感じで楽しいです。

 

早くコロナが収束しますように。

ここまで読んでくれたあなたにも早く生活の平穏が訪れますように。

ありがとうございました。

猫だと思ったら犬だった

昨日は推しセッターとご飯に行って、一緒にバレーした。

一大イベントだったなあ。おかげで疲れたあ。

 

セッターのことは好きだけれど、もうなんか無理するのをやめたので、素のまま話していた。めちゃくちゃ緊張していたけれど、セッターも緊張しているし、私が緊張しているのを悟られてはだめだなと思い、余裕を装った 笑

 

まじで疲れた~~~~~~~~~~

でもセッターかわいかった~~~~~~

 

婚活で人と話す練習を積んできてよかったよ

無駄な経験はないですね。

 

あとセッターの気持ちが手に取るように分かるようになってきた

 

セッターは新卒で入った会社を辞めたがっていて、色々悩んでいる。

年下の彼女とは去年の10月に別れた。予想通り彼女にフラれた。(セッターは2人で話し合って別れたっていうけれど、ぜってー彼女に切り出されたんだよ)

あと、彼女にラインをブロックされているらしい笑

ラインをブロックされているか、確認したらしい。女々しい~~

セッターって基本女々しいんだよな。いや、男の人って基本女々しいよね。

 

セッター分かりやすいな。

彼女と別れてからラインが来るようになったし、昨日彼氏がいるかどうか聞かれた

まーこちとら、生きてきて彼氏がいたことないけどな!!!!

 

すっげー緊張した感じで「彼氏いますか?」って聞いてきたからいくら鈍い私でも、おや、と思った

 

遠いところからわざわざ来てくれたし、セッターは年下だからご飯はおごった

「ごちそうさまです」ってかわいかった

けどなんだか恋愛っぽくならねえって思った(´;ω;`)ウッ…

まあいいか!セッターは緊張していればいいし、私はマイペースにやろう

 

チョコを渡したら喜んでくれた。

帰ってからラインでお返しがしたいって言われて、気にしないでいいよと送ったら何か欲しいものないですかってきた

 

なんつーか、不憫な子だなあ

 

セッターの恋愛パターンがよくわかった。セッターは元カノに一途で尽くしちゃうような感じだったんだろうなあ。それで女の子が飽きたか、ほかに好きな人ができたかして別れたんだな。別れた後もセッターはラインを送ったんだろう。しつこくされた女の子はラインをブロックした、と。

それでセッターは自信がないような子だから、褒められると好きになりがちだな。分かりやすいな。

しょっちゅうスマホをいじっていて、常にラインを気にしている。マメなタイプ。依存症ぎみ。でもこっちの返信が遅くても追撃ラインとかはしない程度には常識的。

ラインの返信スピードがこっちと同じくらいだなあって思っていたら、合わせていたんだな。

あと、お父さんに対して鬱屈していそう。くそおやじって思っていそう。

お父さんが政治家でお母さんは他界。愛情不足が見え見えだ。

だから他から愛情が欲しくて、彼女とかに依存しちゃうんだな。

自分でどうにかする術を知らない。自分を自分で満たせない。

 

セッターと一緒にバレーするのはだいすきなんだけれど、日常生活でのセッターと一緒にいるのはなんか違うかもしれないなあ。

見る目がなかった。

 

年下はかわいいけれど、なんだか対等になれないし、なんかリードしなきゃいけない感じ、めっちゃつかれる

 

おおらかとは対極のセッターだなあ。

 

とりあえずもういいかな。疲れちゃった。けっこうがんばった私。

セッターの深追いはもうやめよう。あとセッター重そう。女々しさまっくす。

 

押すだけ押しておいて、いきなり引いてしまったら相手はアレ?と思いそうだけれど、私の気持ちがしぼんでしまったので、致し方ない。

バレーをいっしょにする分にはいいんだけどなー。

 

セッターは別に私のことが好きなわけではないし、褒めてくれる女子がいて、さみしがりなセッターはそれに便乗したかっただけ。

セッターは告白してくるようなことはしてこないだろうし、このまま距離をとって、一緒にバレーするだけの仲にしておこう。

ラインももういいかな。

 

よし、次いこう。

せっかく一人暮らし始めたから、いろいろバレーチームに行こうと思っているんだ!

 

セッターは正社員で住宅手当が出ていて家賃払ってないって聞いて、うらやましいって心底思ったけれど、社畜になんてなりたくないし、縛られたくないし、このまま野良猫みたいに自由を尊重して生きていこうと思った。お金がなくても、恋人ができなくても、飄々と自分の楽しみを一番大切にしてマイペースに生きていこう。お金がなくて野垂れ死んでも、それはそれで別にいいと思うんだ。安定より私は自由が欲しい。

 

せっかくの自由だ、人生の休暇だ、思う存分楽しむぞ。

誰にも縛られたくないし、人生いつか終わるし、今のうち楽しんでおこうぜ~~

毎日機嫌よく生きることが今の目標です

今日は生きてきたなかで一番楽しかった1日だった。

 

いいことしか起こらなかった。

 

友達と久しぶりに会って、食べたいものを一緒にスーパーで買って、こたつに入って好きなテレビを見ながら一緒に食べた。

 

スーパーではバレーの友達とも偶然会った。

いつもはバレーのときだけしか会わないから、違う世界軸からやって来たみたいだった。

 

一人暮らしの新居の引っ越しはすごく大変で、心が折れかけたけど、なんとか整えられた。

 

ようやく今日は気の置けない友達とゆっくりごろごろできて最高に幸せだった。

 

夕方はバレーに行った。

スーパーで会った友達とまた会ってパスした。

彼女の仕事はデイサービスらしい。

キツくて給料も良くないし、ボーナスもでないけど、これしかやったことがないし、結婚や出産で辞めるなら今辞めることはないかな、と話してくれた。

 

バレーでは強豪校出身でキャプテンとしてキラキラ輝く彼女しか知らなかったから、人間らしい一面を見せてもらって感慨深かった。

 

みんな色々思いながら、折り合いをつけて生きている。

 

最近髪を切ったのだが、美容師さんが将来は何になりたいの?と聞いてきた。

もう学生じゃないんだけどな、と思いながらも話を合わせていた。

 

もう私は何者かになることはしないだろう。

 

今が十分幸せすぎる。

このまま両手いっぱい幸せを抱きしめて生きていければ、それで十分だと心の底から思う。

 

だって私こんなに幸せになれるとは思ってなかった。子どもの頃の私が大人になった私をみたらきっと驚く。大誤算だと思う。

周りのみんなは優しくて、笑いかけてくれて、親切にしてくれて、なんてありがたいんだろうと思う。

そんなに良くしてもらえるような価値のある人間ではないのに、といつも思ってしまう。

でもそんなことは口には出せない。

 

仕事があって、好きなバレーを続けられて、念願の一人暮らしをスタートできて、なんだか、これ以上を願ったらバチが当たりそうだ。

 

バレーのチームでバレンタインデーのチョコ係になったので、チョコを買ってラッピングし、メッセージカードを書いて、今日渡せた。

 

女の子は用意してくれてありがとうと笑ってくれて、男子はなんだか小学生みたいに嬉しそうだった。

 

みんな笑ってくれていたから、嬉しかった。

 

帰りに好きな人とも話して、幸せだった。

好きな人がバレーしてるとこを見ると、いつも感動してしまう。

何度見ても感動してしまうから、不思議だ。

なんで好きなのか理由が分からないのに、明らかに他の人に抱く気持ちとは全く異なるから、この人は私にとって特別だなあとしみじみ思う。

このままずっと一緒にバレーできることを祈る。

 

なんだか今日はひどく幸せだった。

今まで片目をつむって生きてきたみたいで、今日は色々なことが鮮明だった。